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たくみ・802
ホームページで郷土文化史発信
古賀勝さん

取材なぜなぜ
ある日、井上伝を調べていたら、古賀さんのページが目に入りました。ちょっとのつもりでくくっていくと、とてつもない内容。範囲が広くて深い、素材も多様な文化史。そして読んでおもしろいのです。住んでいる町、離れたふるさとの原風景を知ることができると思いました。久留米在住かと思ったら福岡市城南区。お宅で話を聞きました。(取材日・08年4月7日)


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郷土文化の発掘・紹介
筑紫次郎の魅力満載



  筑後川流域。このふるさとに
  今のあなたに繋がる
  歴史、人のいとなみが流れています
古賀勝(まさる)さん

久留米市荒木町出身
RKB毎日放送
(久留米支
社長を経て退職)

福岡市在住

筑後川流域の歴史や伝説を掘りおこし、紹介して20年。ライフワークとして各地に埋もれた逸話を調べる古賀勝さんのホームページには、330以上の物語があります。郷土文化の歴史を考える宝庫です。取材した記者は城島町出身。我が町のことにも触れていただき、自分の依って立つ原風景が引き寄せられそうに思いました。古賀さんの活動とふるさとに寄せる思いを聞きました。

筑紫次郎の世界
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/
筑紫次郎の伝説紀行
久留米絣・井上伝物語
久留米縞・小川トク伝
ふるさと写真館 ほか

掲載地
熊本県小国町、南小国
町、阿蘇市

大分県九重町、玖珠町、
日田市、中津市、由布市
福岡県英彦山、大野城
市、筑紫野市、東峰村、朝
倉市、筑前町、うきは市、
小郡市、太刀洗町、久留米
市、大木町、大川市、星野
村、矢部村、黒木町、立花
町、八女市、広川町、筑後
市、みやま市、大牟田市、
柳川市

佐賀県鳥栖市、基山町、
みやき町、神崎市、佐賀市、
川副町、小城市、白石町、
武雄市、鹿島市


小石原村・行者杉
(古賀さんの「ふるさと写真館」より)


最初に、井上伝さんに関心をもたれた理由を
以前、久留米商業の同窓会で皆と話したのですが、商業史、郷土史としてみて
久留米出身者で全国に名を馳せる女性がいない。井上伝以外見つからない。その次は歌手の松田聖子ではと。(笑い)
そういう意味で彼女にスポットを当てて見る価値があるかなと、調べてみました。その昔発行された岩崎京子著「久留米がすりのうた」は井上伝さんが子どもの頃に絣を発明したという、そんな娘時代の話です。ほかの資料を見ても断片的でした。
本当の井上伝というのはどういう人物だろうか。
私は井上さんの真実は違うと思ったんですね。教科書やいろんなものの中に出てきている彼女の歴史というのは、明治以降の久留米の商人や学者、新聞記者とか、そういう人たちが作り上げた人間像ではないかとね。

幻ではない、井上伝とはどんな人?
彼女の82年間の人生は(明治2年に死んでいますから)完全に幕末と重なります。その時代がどういう時代であったか、その中で井上伝が残した足跡を探っていったんですね。
彼女は家計、家のため、それからお国、つまり久留米藩のお役に立ちたい、あるいは役にたたされたといいますか。そういう形で彼女の絣織りの人生があるんだと思います。
彼女は発明家というより、機
(はた)織り女だったと思います。家のためにしたことが藩から、おまえは上手だからもっと織れ、と。藩外に売りに出すからもっと立派なものを作れ、とね。

藩にうまく利用されたということですか?
当時は多くの藩は財政難なのですね。参勤交代だけでも膨大なお金がかかるが税金はそんなに多く取れない状況です。だから、自分で着るものは自分で織らせる。その分少しでも税金にとりたてるという政策になります。機が織れる井上伝は貴重な存在になって、久留米藩一円に広げさせられて、
農家の娘さん、奥さん、下級武士の奥さんとかに教えていく役を担うのです。
自分の着物は自分で織る、そういう考えは太平洋戦争前、あるいは直後までありましたね。私の小さい頃、筑後一円、どの家からもトンカラリンと機の音が聞こえたものです。
井上伝さんをそういう形で見ていくと、
人間らしくて、非常に生々しく浮き彫りになってくるのではないかと私は思います。彼女を英雄化するのが悪いとは言いませんが。


資料が少ない民話などの取材はどうされていますか。
出かけて行きます。城島にもずいぶん行きましたね。エツの話から念仏踊りの話など。
多くの知識を持っているわけではないですから、役場や教育委員会を訪ねてその土地の物知り博士を紹介していただくなどして、現地の人の話を聞きながら肉付けしていきます。それから現地の景色を眺めながら思いを馳せてみる。
例えば筑後川の土手に上がって、弘法大師が川を渡してもらう様子を、背振の山を見ながら1000年前にタイムスリップして空想するのは楽しいですね。

テーマとしては、筑後川上流から始まって・・・。
川の話ではなく、流域ですね。筑後川流域の人間の話です。川は4県にまたがっていますよね、熊本、大分、福岡、佐賀県。その中で例えば久留米を抜き取ってみても筑後川だけではどうも解釈が難しいなと思ったのです。それで、矢部川、嘉瀬川の二つの川を加えて、それをテレトリーにしています。
筑後川は広いです。大分県の久住のあたりや阿蘇の外輪山から始まっていますから。でも、しょっちゅう行っているから詳しいですよ。細道まで知っています。(笑い)


始められたきっかけは何ですか。
原点はお国自慢です。RKB勤務で東京が一番長くて20年くらい居ましたが、どうしてもお国自慢というものが出てきます。久留米の自慢はなんだろうと思いました。例えば博多の自慢は魚がうまいと言いますね。では久留米は何か。文化的には何があるか。筑後平野は穀倉地帯ですが、具体的にその中の何を自慢するかということで詰まってしまうのです。
そういうことを久留米支社勤務になって真剣に考えるようになり、
ラジオドラマで「筑紫次郎のむかし物語」という15分番組を100本作って毎週放送したことがあります。そのネタ探しに走って・・・そうしている内にだんだんはまりこんだということです。

それが基礎になり、ライフワークになったのですね。
そうです。ホームページは定年後始めましたけど、スタートはずっと以前になります。
流域周辺にも歴史学者の方がいらっしゃいますが、
かみ砕いた、楽しみながら読めるというものには出会わないという思いをしていました(研究ですから当然ですけど)。そして、郷土史は教育委員会単位が多く、町が範囲でその地域から出ないのが難点です。隣町まで言及することはないようです。その点私は自由で枠がありませんから、筑後川を1本のもの、全体として捉えることができます。


町と町は、さまざまに繋がりがありますからね。
地域の繋がり無くして歴史はないですよ。民話を私はこういう風に位置づけています。
学校で学ぶような歴史は、武士や公家、天皇、お坊さん、いわゆる
上流階級や役人の中で作られた歴史ですよね。その中に庶民はその他大勢で、歴史の中に現れない。これが現れるのは民話、伝説です。確かにこれらは記録ではないし、学者は民俗という範疇(はんちゅう)に入れますが、歴史とかけ離れているのではなく、繋がっている。繋がっていないと逆におかしいです。何年何月何日までわからない、あいまいなところが民話、伝説のいいところなんですね。
筑後は人の歴史、いとなみが相当古くからあります。どうしてかといいますと、八女にある磐井の墓ですが、これが筑後川に平行して日田の向こうまで続いています。
相当の数ですよ。筑後川左岸(南側)の耳納連山に沿ってたくさんの古墳があります。これはまさしく人の歴史、いとなみの歴史ですね。

私はこの土地で育っていながら全体が見えていません。今に繋がる歴史で、自分が見えるといいです。
私もそうです。今の地形は昔とは違いますからね。筑後川はもっと狭くて、蛇行しています。そのあとが今の行政区域でわかります。今の地図は川を境に福岡県と佐賀県が入り組んでいますでしょう。そういったことを頭に浮かべながら考え、調べていくんですよね。そうすると、岸辺の人びとのいとなみがよくわかります。
城島のあたりは当然ながら古代は海ですよね。浮羽町あたりは湿地帯ですよ。そういう湿地帯に山の土が流され運ばれてきたりして、少しずつ畑が広がり、人が増えてきたんだろうなと思います。

人が生きるための知恵をいただけるような気がします。
実は、社会の発展というのはそういう繋がりの中でできてきたんだよ、と教えるには民話や伝説がやりやすいのではと思います。そこに人間像が加わるとおもしろいですね。
田舎を走り回り、人に会ったり人の話を聞いたりするのが好きです。昔からね。ただ、田畑が少なくなっていくとイメージが変わっていきます。農村風景、故郷風景といっても、昔その風景を描いてくれた絵描きさんの絵を見て、やっと思い出すくらいになりました。今は、田舎に広いまっすぐな道路ができていますが、これは日本人の心を壊すように思います。


小川トクさんの話もよく知りませんでした。
小川トクさんは久留米縞(しま)、絣ではなく縞ですね、埼玉県の生まれで、農村ですが江戸に近く縞織りが盛んなところでした。彼女は結婚して子どもも生まれたのですが、事情があって家を捨てて江戸に出、久留米藩の上屋敷で女中奉公をします。当時は幕末ですが、明治維新となって久留米に来るんです。久留米に到着した時に井上伝さんが亡くなっています。
彼女は井上伝さんがやってきた絣とか久留米の織物に接し、江戸と筑後の田舎との、技術や人間の意識の差を感じます。それから、
食べるためではあるのですが、自分は埼玉で覚えた機織りをやろうということで、機の作りから始めるのです。大工さんを雇ってね。その後、久留米絣に匹敵するような大産業に育てるんですよ。久留米の機織り、絣、縞生産を大きく発展させる貢献をしました。井上伝さん、小川トクさんが久留米の織物を全国的なものにしたのです。

織物で名を馳せた久留米。この地域に寄せる思いを聞かせてください。
久留米は商人の町です。商人が集まってくる町ですね。集まってくると、商品の質も技術も高くなります。滋賀県の近江商人のような感じです。九州で存在感がありました。でも現在、商業都市というイメージはなくなりました。
生まれた故郷のことを悪く言ったらいけないけど、
自己中心的な考えを無くさないといけないと思います。以前は、世の中のためになったり将来に繋がっていたようです。今は、自分の金儲けが第一になっていないでしょうか。そうすると特徴のない町になっていきます。現実主義もわかりますが、それにプラスα、遊びの部分というかそれが生活の中にないとおもしろくないですね。町の中にコンクリートが建っているだけというのは味気ないですよ。
普通、どの町や村にでもある「祭り」が旧久留米市にはないですね。住民が集まってコミュニケーションをする、文化の中心になるという祭りがすたれてしまったようです。イベントはありますけどね。(笑い)
僕の場合は、特定の町というより、筑後川流域をまとめて故郷にしています。それらを訪れても山の方と平野、海岸近くとでは文化も違います。それぞれの特長を生かしながら、大切に大事にしていかなければと思います。
私は年齢からいって応援団しかできませんが、久留米赴任中には市長や議員さんたちと話す機会も多く、一度久留米の町を空っぽにしてみたらと言ったことがあります。というのは、
どういう町が一番理想的かということを考えてみたらということです。筑後川と高良山と水天宮さん、その三つぐらいを置いて、子どもたちに町の絵を描かせてみたらどうでしょう。私は文化の香り高い、「文化が根付くまち」を造っていくべきだと思います。


取材後の感想
古賀さんのホームページは毎週日曜日に更新されます。http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/ 下調べをしっかりされての確かな内容。それも読み応えがある表現でびっくりします。年寄りの遊びにちょうどいいとおっしゃいましたが、とんでもない。こういうことをなさる方が居られるというのは郷土にとってすばらしいことです。現在、福岡に住んでおられますが、ふるさとを離れた方がよく見えるのではと感じました。古賀さんのおかげで、筑後地域の自慢がたくさん出てきて自信が持てます。それを活かし、新しい文化を創るのが現代のわたしたちなのでしょうね。
ありがとうございました。


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